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創業大正十五年 はじまりは田んぼの中の一軒家 度重なる大水害を越え先代の思ひを紡いでゆく

創業大正十五年

正面より見たる不二やホテル全景(大鰐藏舘温泉)

  • 田んぼの中の旅館〜先代の賭け~
  • 不二やホテルは大正十五年に創業者・藤田 綱吉の時にスタートした。

奥羽線藏舘温泉場 不二やホテル

大正十三年に温泉を掘り当て、十五年に客舎を開業したが、当時は二百十五m²(六、七十坪)の母屋の他に、馬小屋、仕事場などが百三十二m²(四十坪)ほどあり、合わせて三百四十m²ほどの小さなものだった。現在、不二やのあるところは、多くは苗代や田んぼだったところだが、綱吉は昭和五年に至って一大決心をし、百姓も精米所も放り出して、総面積一千九百八十m²におよぶ増改築を行い、今の不二やホテルの基礎を作ったのだ。

このころの蔵館は、大鰐駅から1kmもあり、温泉地帯の中では、決して地の利がよいとは言えなかった。それをあえて強行したのだから、将来に賭けた大バクチでもあったわけだ。

一九六八年 陸奥新報社提供【風雪の履歴書】 より

不二や命名の由来

政府登録の国際観光旅館になっている不二やホテルの正面玄関

昭和五年に増改築をしてから、「不二や」と名乗った。旅館と客舎を兼業したが、蔵館の人々は物笑いの種にしたそうだ。田んぼの真ん中にお城のような旅館を建築したために、その無謀さを非難し、且つたまげたものであろう。このとき綱吉が「不二や」と名乗ったのは、藤田家の先祖に弥四郎というものがおり、長い間”弥四郎どんの家”と呼ばれていたところから、藤田の藤と弥四郎の弥をかけ合わせ「藤弥」をもじって不二やにしたものという。

昭和五年当時の建物を基礎にした不二やは、昭和二十六年以降、数回にわたって増築し、二十七年に「株式会社不二やホテル」に改組した。はじめ百姓家を改造し「カネヤ」という屋号で発足した不二やは、従業員もわずか十人足らずであった。

昭和五年に大増改築した時には”田んぼの中の一軒家”というので部落民の嘲笑さえ買った。さらに昭和十年の大洪水”大鰐流れ”以来、昭和三十五年、同三十八年、同四十一年と度重なる大水害に見舞われながらも、不死鳥のように雄々しく起き上がってきた。

一九六八年 陸奥新報社提供 【風雪の履歴書】 より

歴史点景

  • 奥羽線藏舘温泉場 不二やホテルより平賀川を望む

  • 昭和二十五年大廣間落成記念 不二やホテル

奥羽線藏舘温泉場 不二やホテル客室

平川の清流より見たる不二やホテル全景 - 昭和初期 -

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